提出した稟議が「これでは判断できない」と戻ってきて、どこをどう直せばいいのか分からないまま書き直す。
申請する側でも、承認する側でも、こういう往復を経験したことがあるのではないでしょうか。
差し戻しは、申請業務の中で特に時間を溶かす工程です。1回戻るたびに、また最初から読み直す時間が生まれ、承認者も同じ案件を二度三度読み直すことになる。
しかも失われた時間は、どこにも記録として残りません。決裁までのリードタイムが長いという事実だけが残り、その中身が「審査に時間がかかった」のか「往復で時間が消えた」のかは、後から誰にも分からないままです。
ただ、この課題への対処は、たいてい申請する側に向けられます。記入例を配る。よくある差し戻し理由を周知する。マニュアルを厚くする。
どれも真っ当な取り組みですし、実際に一定の効果もあります。でも、半年もすると件数が元に戻ってしまう。そんな話もよく伺います。
理由は、差し戻しの多くが申請者の不注意から生まれているわけではないからです。
承認者は、申請書を見るときに自分なりの判断基準を持っています。
この金額なら相見積もりが要る、この取引先なら与信の確認が要る、この時期の投資なら来期予算との関係を説明してほしい。
こうした基準は、決裁権限規程には金額の線引きとして書かれていても「何をどこまで書けば判断できるか」という粒度では、どこにも書かれていないことがほとんどです。
つまり差し戻しは、承認者の頭の中にある審査基準が、申請する時点では申請者から見えていない、という情報の非対称から生まれている。
申請者は見えない基準を推測して書き、承認者は見えていないことを知らないまま「足りない」と返す。この構造がある限り、注意喚起をどれだけ重ねても、差し戻しはまた戻ってきます。
そこで本稿では、差し戻しを3つの類型に分解して、それぞれ原因の置き場所がまったく違うことを整理します。
そのうえで、周知や記入例という王道の対処がなぜ時間とともに効かなくなるのかを掘り下げ、承認者の判断基準を申請の時点まで前倒しするための設計の考え方、そして自社の差し戻しを類型別に振り分けて打ち手を当てはめるための対応表と着手の順番までをお話しします。
読み終わるころには、「差し戻しが多い」という一言で報告されていた状態を分解して、どの類型にどの手を打つべきかを選び分けられるようになっているはずです。
差し戻しの話は、社内では「申請の不備が多い」という言葉で語られがちです。
この言い方には、原因が申請者の側にあるという前提が、そっと混じっています。前提がそのままだと、打ち手は自然と「申請者に気をつけてもらう」方向に寄っていく。周知、研修、記入例。どれも申請者の記憶と注意力に頼る方法です。
でも、人の注意力は補充されません。周知した直後は効いても、時間が経てば元の水準に戻る。申請の頻度が低い書式ほど、前に書いたときのことなど覚えていないのが自然です。
だとすれば、差し戻しを減らす打ち手は、申請者の記憶に置くのではなく、申請の設計そのものに置くほうが理にかなっています。判断基準が見えないから起きているのなら、判断基準を見える場所へ持ってくる。取り組みの中身は、突き詰めればそれだけの話なんです。
差し戻しを減らそうとするとき、最初にやっておきたいのは、差し戻しを一括りにしないことです。実務で起きている差し戻しは、性質のまったく違う3つが混ざっています。
類型 | 何が起きているか | 原因の置き場所 |
|---|---|---|
形式の不備 | 番号の入力間違い、必須の添付漏れ、期間や金額の書き間違い | 入力の仕組み |
判断材料の不足 | 書いてある内容は正しいが、承認者が判断するための情報が足りない | 審査基準の見えなさ |
案件そのものの見直し | 内容は伝わっているが、方針・予算・時期の観点から差し戻される | 意思決定のプロセス |
3つを分けて考える価値は、打ち手がまるで違うところにあります。同じ「差し戻し」という言葉で括られているせいで、本来は仕組みで止められるものにまで周知で対処してしまう。逆に、周知でしか動かないものに入力チェックを増やしてしまう。
分類を先にやるだけで、この取り違えがなくなります。
区分番号を手で入力させれば、いつか必ず打ち間違いが起こります。金額を電卓で計算して転記させれば、いつか合わなくなる。手作業に必ずついてくる性質であって、注意力の問題ではありません。
この類型は、打ち手がいちばんはっきりしています。手入力を選択式に変える。計算はシステム側で自動的に行う。金額の区分によって必要になる添付を必須にする。承認者の目に触れる前に、入力の時点で止まる形をつくる。
形式の不備は、人が気をつける対象から、仕組みが担保する対象へ移せる領域です。
ここで見落とされやすいのが、マスタとの接続です。取引先名や勘定科目、部門コードのように、社内の別のシステムに正解が存在する項目は、手入力させている限りゆらぎ続けます。表記ゆれ、旧名称、廃止済みのコード。
選択式にするだけでなく、選択肢の元になるマスタをどこから持ってくるか、更新は誰が担うのかまで決めておくと、この類型は目に見えて減ります。
いちばん厄介で、いちばん件数が多いのがこの類型です。書いてあることに間違いはない。でも承認者からすると、これでは判断できない。
たとえば、金額と用途は書かれているのに、なぜ今その支出が必要なのか、他の選択肢と比べてなぜこれを選んだのかが書かれていない。
申請者からすれば、書けと言われていないことを書かないのは当然です。承認者からすれば、そこがないと判断ができない。どちらも正しくて、それでも噛み合わない。
この類型は、入力チェックでは止められません。空欄ではないからです。減らすには、承認者が何を見て判断しているのかを言語化して、申請の画面に持ってくるしかありません。
方針に合わない、今期の予算では難しい、時期を改めたほうがいい。こうした理由による差し戻しは、審査が正しく機能している証拠でもあります。
この類型まで「減らすべき差し戻し」に数えてしまうと、目標そのものがおかしくなります。差し戻しゼロを目指す取り組みが、承認者に「多少気になっても通す」圧力をかけてしまっては本末転倒です。
減らす対象は、あくまで前の2つ。この線引きを最初に引いておくことが、取り組み全体の前提になります。
ただし、この類型が極端に多い申請がある場合は、別の見立てができます。案件の中身が固まる前に申請が上がってきている、つまり申請の前段にあるはずの相談や合意形成の場が足りていないというサインかもしれません。その場合に手を入れるべきは申請フォームではなく、申請前のプロセスのほうです。
差し戻しへの対処として最初に選ばれるのは、たいてい申請者への周知です。よくある差し戻し理由を一覧にして配る。記入例を用意する。説明会を開く。
これらが無意味なわけではありません。実施直後は、確かに件数が下がります。問題は、その効果が持続しない構造にあります。
社内の申請には、毎週出すものもあれば、年に一度出すかどうかのものもあります。そして差し戻しが多く発生するのは、多くの場合、頻度の低いほうです。
半年前に一度書いただけの申請について、記入例の細かな注意点を覚えている人はまずいません。周知した内容は、次に必要になるころには忘れられている。
周知の効果は、頻度が低い申請ほど届きにくい。差し戻しが多いところにこそ届きにくい、というねじれがあるんです。
記入例が共有フォルダやマニュアルの中にあるとき、申請者はそれを探しに行く手間を負います。申請画面を開いて入力を始めた人が、わざわざ別の場所を確認しに行くかというと、多くの場合はそのまま書き進めます。
判断基準の情報は、申請している画面の中、しかも入力しているその項目のすぐそばにないと、実際には参照されません。周知が効きにくいのは、内容の質ではなく、置かれている場所の問題であることが少なくありません。
もっとも根っこにあるのがここです。周知しようにも、承認者が何を見て判断しているかが、まだ言語化されていない。
決裁権限規程には「この金額はこの役職が決裁する」という線引きは書かれています。でも「この金額のときは何を確認して判断するか」までは、通常書かれていません。
書かれていないから周知できず、周知できないから申請者には見えず、見えないから差し戻される。承認者本人も、長年の経験で身についた基準を、あらためて言葉にしたことがない場合がほとんどです。
正直に言うと、私も以前は、差し戻しを減らしたいというご相談に対して、入力チェックや必須項目の設定の話ばかりをしていました。
考えが変わったのは、そこまで整えても件数が思ったほど減らない、という話を何度か伺ってからです。止められていたのは形式の不備だけで、いちばん件数の多い判断材料の不足には、そもそも手が届いていなかったわけです。
差し戻しを減らす取り組みの実質的な中身は、この言語化されていない基準を掘り起こす作業になります。周知はその後の話。順番を逆にすると、掘り起こしのないまま形だけの記入例が増えていくことになります。
承認者の頭の中にある基準を、申請する人が入力しているその瞬間まで持ってくる。差し戻しを構造から減らす取り組みは、この一点に集約されます。具体的な進め方を、4つの方向から整理します。
出発点は、承認者への聞き取りです。ただし「どんな不備が多いですか」と聞くと、形式の不備の話に流れやすくなります。知りたいのは判断材料のほうなので、聞き方を少し変えます。
有効なのは、実際に差し戻した案件を手元に置いて、「このとき、何が分かれば承認できましたか」と具体的に聞く形です。
抽象的に基準を語ってもらうより、個別の案件から遡るほうが、暗黙のうちに使っている基準が言葉になって出てきます。何件か集めると、「金額がこの水準を超えると比較検討の経緯を見ている」「新規の取引先のときは与信の確認を見ている」といった規則性が浮かび上がってくるはずです。
この聞き取りは、管理部門が承認者や決裁者と行う作業です。申請する現場に「何を書けばいいか」を聞いても、答えは出てきません。基準を持っているのは審査する側だからです。
聞き取りの単位は、申請の種類ごとではなく、承認のステップごとに切るのがおすすめです。同じ稟議でも、部門長が見ているところと、経理が見ているところと、役員が見ているところは違います。
ステップごとに分けて聞くと、「実は同じ確認を二人が別々にやっていた」といった重複も一緒に見つかります。
言葉になった基準は、周知文にする前に、まず入力項目にできないかを考えます。
「なぜ今必要なのか」を見ているのなら、自由記述の備考欄ではなく、その観点を尋ねる独立した項目を置く。「他の選択肢との比較」を見ているのなら、比較検討の欄を設ける。金額がある水準を超えたときにだけ確認している基準なら、その条件のときだけ項目が現れる形にする。
項目として存在すれば、申請者は覚えていなくても書きます。記憶に頼る周知と、画面に存在する入力欄。この2つは、届き方がまるで違います。承認者の基準を、注意事項ではなく、フォームの構造として実装するという発想です。
ここで一つ、現場感覚として大事なことがあります。基準を項目に変えていくと、フォームは必ず長くなる。
長すぎるフォームは、それ自体が入力の質を下げがちです。全部の欄を埋めるのが目的化して、中身の薄い記述で埋まっていく。
だから、項目を足す作業は、既存の項目を見直す作業とセットにします。誰も見ていない欄、他の項目と内容が重複している欄、当時の事情で足されたまま残っている欄。
承認者への聞き取りをしていると、「この欄は正直、見ていません」という発言が必ず出てきます。それが減らす候補です。
条件による出し分けも有効です。全員に常時見せる必要のある項目は、実はそれほど多くありません。金額や申請区分に応じて必要な項目だけが現れる形にすれば、1件あたりの入力負荷を増やさずに、判断材料を厚くできます。
聞き取りで浮かび上がった基準の中には、本来は規程やガイドラインに書かれているべき性質のものが混じっています。ある金額を超える調達では相見積もりを取る、新規取引先には所定の確認を行う。こうしたものは、担当者の判断の癖ではなく、組織のルールとして扱うべき内容です。
システムのフォームにだけ実装して規程を更新しないままだと、承認者が交代したときに基準が揺らぎます。監査や内部統制の場面でも、「なぜこの項目を必須にしているのか」を組織として説明できる状態にしておきたい。
前に触れたとおり、差し戻しは審査が機能している証拠でもあります。だからこそ、基準そのものを組織の記録に残すところまでを、この取り組みの範囲に含めておきたいところです。
聞き取り、フォームへの実装、項目の整理、規程への反映。4つをセットで回すことで、差し戻しの削減は一時的な改善ではなく、審査基準を組織で共有する取り組みになっていきます。
ここまでの話を、実際に差し戻しを減らす人が使える形にまとめます。チェックリストではなく、まず自社の差し戻しを類型に振り分け、類型ごとに打ち手を選ぶ、という順番の対応表にしました。
主要なワークフローについて、直近の一定期間に発生した差し戻しを集めて、次の基準で振り分けます。件数を数えるところまでやると、どこに手を打つべきかが見えてきます。
振り分けの問い | 答えがはいなら | この類型 |
|---|---|---|
入力の間違い・漏れ・添付忘れが理由か | 仕組みで止められる | 形式の不備 |
書いてある内容は正しいが、判断材料が足りなかったか | 基準の言語化が必要 | 判断材料の不足 |
内容は伝わったうえで、方針・予算・時期の観点で戻したか | 削減対象から外す | 案件そのものの見直し |
差し戻し時のコメントが残っていれば、その文面がそのまま振り分けの材料になります。
逆に、コメントが「修正してください」だけで理由が残っていない場合は、理由を選択式で残す運用を先に入れておくと、次の棚卸しがぐっと楽になります。
類型 | 打ち手 | 誰が進めるか |
|---|---|---|
形式の不備 | 手入力を選択式に変える/計算を自動化する/マスタと接続して選択肢を維持する/条件に応じて添付を必須にする | 管理部門とシステム管理者 |
判断材料の不足 | 承認ステップごとに基準を聞き取って言語化する/基準を入力項目として実装する/条件に応じて項目を出し分ける/不要な項目を削る | 管理部門と各申請の承認者・決裁者 |
案件そのものの見直し | 削減目標から除外する/件数が多い場合は、申請前の相談・合意形成の場が足りているかを別途検討する | 管理部門と所管部門 |
一度にすべては動かせないので、次の順番で進めると効果が見えやすくなります。
5番目を最初から予定に入れておくのが、地味ですが効きます。差し戻しの総数だけを見ていると、形式の不備が減って判断材料の不足が残っている状態を「効果が出ていない」と誤解しがちです。
類型別に見れば、どこが動いてどこが残っているかが分かる。次にどこへ手を伸ばすかも、そこから決められます。
差し戻しが減らない。この状態は、申請する人の注意力が足りないからでも、承認する人が厳しすぎるからでもありません。承認者が持っている審査の基準が、申請する時点では見えないところに置かれている。それだけの構造から生まれています。
だから打ち手も、注意喚起ではなく、基準を見える場所へ移す設計に置くのが近道です。
形式の不備は仕組みで止め、判断材料の不足は基準を言語化して入力項目に変え、案件そのものの見直しは削減対象から外す。3つを分けたうえで、それぞれに合った手を打つ。
そして、この取り組みでいちばん価値があるのは、差し戻しの件数が減ることそのものではないかもしれません。長年ベテランの経験の中に閉じていた審査の基準が、組織の言葉として残ること。担当者が交代しても、監査で問われても、同じ基準を説明できる状態になること。
最後にひとつ添えておくと、私は相談を受ける営業の立場で、承認者への聞き取りを自分の手で最後まで回した当事者ではありません。
誰にどの順番で聞くか、現場の納得をどう作るかといった進め方の勘所は、実際にこの作業をやり切ったみなさんのほうが詳しいはずです。
この記事の3類型の整理と対応表が、差し戻しの棚卸しの参考になれば幸いです。